2018年11月2日金曜日

私が生まれてから今まで NO.1 

● 仮死状態で生まれ、重い障がいを持って、養護学校で学んで ●


どろんこ作業所、通所者のacky(アッキー)です。
これから、時々私の生い立ちを書きたいと思っています。

私は、へその緒が首にまり、仮死状態で生まれてきました。生きるか死ぬかの状態だったところを、医師の適切(てきせつ)処置によって救ってもらい生きることが出来たのですが、身体に重い障害が残ってしまいました。当時のことを自分では覚えていませんが、助けてくれて感謝しています。

不自由な体になって、皆さんの生活とは、いくらか違うところがありました。

まずは、私が受けてきた教育について書いてみようと思います。私は一般の幼稚園や小・中学校.高等学校は通えず、障害を持った人が通う施設や養護学校(現在の特別支援学校)に通園・通学していました。

養護学校では、障害の程度も内容も色んな生徒がいて、同じクラスの中でも、障害に合わせて勉強の進み具合や学習内容は別々でした。私は、小学校高学年のときに3年生の勉強をやったり、中学校で小学生の勉強をやったりしていました。楽な時もあれば、辛い教科もありました。国語は読めない漢字が多くて嫌でした。

小学校低学年の時は、先生1人に対して生徒(私を含め)3人体制で国語・算数の授業を受けていました。私以外の2人の生徒は自分で字が書けたので、テストの時はそれぞれに自分の思った答えを書いていましたが、手が不自由な私は、先生に答えを口で伝えて筆記してもらっていました。それで間違っていると頭をげんこつでれたのですが、今思えば、先生は私の間違いを叱っていたのではなく、答えが間違っていることをわざわざテストの最中に教えて、考え直すチャンスをくれていたようなものです。手が不自由な分、考える能力は他の人たちと同じようにつけてほしいという、先生の思いもあったのではないでしょうか。

その頃は、宿題も母の家事が落ち着いた後に筆記をしてもらっていたので、深夜までかかった時もありました。



●この続きは時々書いていきますので、のんびりお待ちください。


通所者:acky

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