● 仮死状態で生まれ、重い障がいを持って、養護学校で学んで ●
これから、時々私の生い立ちを書きたいと思っています。
私は、へその緒が首に絡まり、仮死状態で生まれてきました。生きるか死ぬかの状態だったところを、医師の適切な処置によって救ってもらい生きることが出来たのですが、身体に重い障害が残ってしまいました。当時のことを自分では覚えていませんが、助けてくれて感謝しています。
不自由な体になって、皆さんの生活とは、いくらか違うところがありました。
まずは、私が受けてきた教育について書いてみようと思います。私は一般の幼稚園や小・中学校.高等学校は通えず、障害を持った人が通う施設や養護学校(現在の特別支援学校)に通園・通学していました。
まずは、私が受けてきた教育について書いてみようと思います。私は一般の幼稚園や小・中学校.高等学校は通えず、障害を持った人が通う施設や養護学校(現在の特別支援学校)に通園・通学していました。
養護学校では、障害の程度も内容も色んな生徒がいて、同じクラスの中でも、障害に合わせて勉強の進み具合や学習内容は別々でした。私は、小学校高学年のときに3年生の勉強をやったり、中学校で小学生の勉強をやったりしていました。楽な時もあれば、辛い教科もありました。国語は読めない漢字が多くて嫌でした。
小学校低学年の時は、先生1人に対して生徒(私を含め)3人体制で国語・算数の授業を受けていました。私以外の2人の生徒は自分で字が書けたので、テストの時はそれぞれに自分の思った答えを書いていましたが、手が不自由な私は、先生に答えを口で伝えて筆記してもらっていました。それで間違っていると頭をげんこつで軽く叩かれたのですが、今思えば、先生は私の間違いを叱っていたのではなく、答えが間違っていることをわざわざテストの最中に教えて、考え直すチャンスをくれていたようなものです。手が不自由な分、考える能力は他の人たちと同じようにつけてほしいという、先生の思いもあったのではないでしょうか。
その頃は、宿題も母の家事が落ち着いた後に筆記をしてもらっていたので、深夜までかかった時もありました。
その頃は、宿題も母の家事が落ち着いた後に筆記をしてもらっていたので、深夜までかかった時もありました。
●この続きは時々書いていきますので、のんびりお待ちください。
通所者:acky
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